首相官邸が公表しているデータによると、歴代内閣総理大臣の出身地で一番多いのは山口県となっています(合計8人)。
本日はそんな山口県出身の歴代総理大臣を紹介していきます。
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山口県出身の歴代総理大臣
伊藤博文
1841年10月16日-1909年10月26日(68歳没)
出身地:周防国熊毛郡束荷村(現在の山口県光市)
日本の初代・第5代・第7代・第10代内閣総理大臣。
松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加しました。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となりました。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となり、外交では日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印により朝鮮の独立を清国に認めさせました。
残念ながら最後は朝鮮民族主義活動家の朝鮮人・安重根に暗殺されてしまいました。
山県有朋(やまがたありとも)
1838年6月14日-1922年2月2日(83歳没)
出身地:長門国阿武郡川島村(現・山口県萩市川島)
第3代・第9代内閣総理大臣を努めました。
下級武士の子どもとして生まれましたが、学問を修めて松下村塾に入り尊皇攘夷運動に従事しました。
高杉晋作が創設した奇兵隊ではナンバー2である軍監となり、戊辰戦争では転戦しました。明治政府では陸軍と内務省のトップを歴任し、二度の首相を経験し、伊藤博文に匹敵する藩閥の最有力者となりました。
明治時代後期から大正時代前期の日本政界に大きな影響力を保ちました。
桂太郎
1848年1月4日-1913年10月10日(65歳没)
出身地:長門国阿武郡萩町(現:山口県萩市)
日本の武士(長州藩士)であり、陸軍軍人、政治家です。
第11代・第13代・第15代内閣総理大臣を努めました。
また拓殖大学の創立も行いました。
寺内正毅
1852年2月24日-1919年11月3日(67歳没)
出身:周防国吉敷郡平川村(現:山口県山口市)
明治時代から大正時代にかけて陸軍軍人として活躍し、陸軍大臣として韓国統監に就任し日本への併合を推し進めました。韓国併合後は朝鮮総督に就任しました。後に内地に帰還をすると、寺内内閣を発足させ、第18代内閣総理大臣を務めると共に、外務大臣や大蔵大臣と言った国務大臣を兼任しました。
田中義一
1864年7月25日-1929年9月29日(65歳没)
出身: 長門国阿武郡萩(現:山口県萩市)
日露戦争では満州軍参謀として活躍をしました。陸軍大将を努め、退役後は立憲政友会総裁、貴族院勅選議員となり、昭和2年(1927年)に第26代内閣総理大臣に就任しました。
岸信介
1896年11月13日-1987年8月7日(90歳没)
出身地:山口県吉敷郡山口町(現:山口市)
第56代・第57代内閣総理大臣。孫が安倍晋三前首相にあたります。
日米安保体制の成立に尽力しました。首相退任後も政界に影響力を持ち、自主憲法制定運動に努めました。
佐藤栄作
1901年3月27日-1975年6月3日(74歳没)
出身:山口県熊毛郡田布施町
第61代・第62代・第63代内閣総理大臣。岸信介の実弟です。
「政界の団十郎」「早耳の栄作」の異名を持ち、内閣総理大臣として日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還を成し遂げました。
2798日の連続在任記録もあります。
1974年にノーベル平和賞受賞し、現在(2020年9月)までにノーベル平和賞受賞の唯一の日本人です。
安倍晋三
1954年9月21日-(66歳)
出生地:東京都新宿区
本籍地:山口県大津郡油谷町(現、長門市)
第96代・第97代・第98代内閣総理大臣。政治家一族生まれ。神戸製鉄所に入社し、ニューヨーク事務所での社会人経験を経て外務大臣に就任していた父・晋太郎の秘書官を努めました。1991年に父・晋太郎が急死してから、1993年に父の地盤を受け継ぎ、山口1区から出馬し初当選し政治家となりました。
2020年東京オリンピック招致、アベノミクスによる経済政策、米国との関係改善、優れた外交手腕で国際社会での日本の地位を向上させたとも言われています。
最後に
いかがでしたでしょうか。山口県出身の歴代内閣総理大臣一覧を紹介しました。
首相官邸が公表しているデータによると、歴代内閣総理大臣の出身地で一番多いのは山口県となっています。
やはり自分の出身県の方がどんな形であろうと活躍されるのは同郷としては大変嬉しく思います。
今後も多くの活躍される人材が輩出されることを願っています。
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