【周南市大津島】回天記念館の遺書を見てきた

山口県周南市の大津島にある回天記念館をご存知でしょうか?

回天とは太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり、日本軍初の特攻兵器です。

太平洋戦争末期に、「天を回らし、戦局を逆転させる」という願いを込めて、人間魚雷「回天」は誕生しました。

海軍が最後にかけた究極の極秘作戦として扱われ、終戦後にようやく一般の国民にも報じられ始め、この回天記念館は1968年(昭和43年)に建てられました。

全国に4カ所あった基地のうち最初に開設され、かつ当時の施設が現在も残っている唯一のものです。

本日はそんな回天記念館を紹介します。


回天記念館基本情報

営業時間

午前8時30分~午後4時30分

休館日

  • 毎週水曜日(水曜日が祝日の場合はその翌日)
  • 年末年始(12月29日~1月3日)

※事前にHP等で休館日を確認して訪れることをお勧めします。

連絡先

Tel・Fax:0834-85-2310

場所

〒745-0057 山口県周南市大津島1960

交通アクセス

基本的には徳山港発の大津島行きの旅客船かフェリーに乗船し、最初の着陸地である馬島港で下船し、徒歩10分ほどで到着します。

ちなみに馬島というのは、島の名前ではなく大津島の港の名前になります。

旅客線とフェリーの運行情報は大津島巡航へ を参照ください。

料金

大人310円
18歳以下の学生・幼児無料
団体(30人以上)大人250円

タイムスケジュール

ヒロヤン一行の当日の実際の徳山港から乗船してから回天記念館と回天訓練基地跡地を見学してから、再び徳山港へ戻るまでの当日のタイムスケジュールになります。

9:00乗船開始
9:30徳山港出発
9:47馬島港到着
10:00回天記念館見学
10:50回天訓練基地跡見学
11:00馬島港到着
11:07馬島港出発
11:25徳山港到着

午後一の徳山駅発の新幹線を予約していたので、かなりタイトなスケジュールで島をあとにしました。

メインの回天記念館は、40分ほどで回りましたが、1時間くらいが適切だと考えます。

馬島港近くには、レストランの「島食堂ひなた」もありますのでそこでランチを取るのもおすすめです。

もしくは天気が良い日は、徳山駅でお弁当を購入し島の公園で食べるのも良いかもしれません。

回天記念館

馬島港から徒歩10分ほどで到着します。

館内の大きさは小学校の体育館もないほどですが、中身は非常に濃い内容となっています。

時間は1時間を見てください。

回天に係る遺品や資料の展示に併せて、歴史や時代背景、誰が回天を発案したのか、どうして回天を実用兵器として使用することになったのかなどが展示されています。

収蔵品は、遺書、手紙、軍服、遺影、音声データなど約1,300点があるそうです。

遺書

内部は基本的には撮影禁止となっています。

遺書は国の宝であると考えます。

是非自らの足で回天記念館を訪れて、実際に読まれることをお勧めします。

一部は公式HPにて確認ができます。

当時の志願兵の方々の達筆さ、家族のみならず多くの方々を慮る優しさ、覚悟、非常に胸をうたれる内容となっています。

多くのことを考えさせられました。

回天訓練基地跡地

回天記念館と同じくもう一つ訪れるべき場所として、回天訓練基地跡地をあげます。

回天記念館から徒歩10分で行くことができます。

回天訓練基地跡地に続くトンネルを抜ければすぐそこです。

それがこちらです。

実際の内部はフェンスで覆われ立ち入ることができません。

当時と同じこの場所で、訓練生が必死に国のために回天を持ち運び決死の覚悟で訓練していたと思うと胸に熱いものが込み上げてきました。

その他

回天記念館と回天訓練基地跡地を紹介しましたが、他にも大津島の島内には見るべき場所があります。

  • 点火試験場跡
  • 危険物貯蔵庫跡
  • 変電所跡
  • 飛行科入口門
  • 九三式酸素魚雷発射口

など。

今回は私は時間の関係で全てを訪れることができませんでしたので割愛します。

出口のない海

回天をテーマにした映画もあります。

市川海老蔵主演、伊勢谷友介・上野樹里・塩谷瞬・香川照之・古手川祐子・三浦友和出演です。


思い出しましたが、「出口のない海」の撮影場所は山口県だっため、当時新聞等のメディアでエキストラを募集していたのを思い出しました。

私の友人も申し込んでいた記憶があります。

訪れた感想

山口県という私の生まれ育った地域に、このような戦争の悲惨さを伝え平和を願う記念館が存在していることに驚きました。

私は生まれも育ちも18年間は山口県ですが、社会科見学で広島の原爆ドームを訪れることは5.6回もありましたが、回天は今回訪れるまで一度もありませんでした。

おそらく回天記念館の特質すべき内容は、展示の備品と遺書に係る内容だと思いますが、センター試験レベルの漢字でどの方も書かれていますので、漢字が不得意な人にとっては非常に難読だと考えました。

「漢字なんて大まかにわかるだろ!!」って人も中にはいらっしゃるかもしれませんが、彼らがどういう気持ちでどんな覚悟でペンを握って紙に想いを書き留めたかを慮るには、やはりある程度の漢字の知識がある前提であることをお勧めします。

もしくは子供も読めるように、ひらがな表記の翻訳を記念館に設置してもいいのかもしれません。

遺書もさることながら、最も驚いたのは回天に参加したのは赤紙で招集された人たちではなく、全て志願兵だということです。

しかも全て20歳前後の全国からの若者です。

祖国を、大切な人を守ために、自分の命を投げ打ってまで、作戦を遂行しようとする当時の若者の覚悟は想像を絶するものがあったでしょう。

そして今ある日本の平和も、本気で国を守ろうと散っていった多くの人々の上に成り立っていることを肌身に染みました。

少しでも興味を持っている人がいるならば語り継いでいきたいと思います。

以上。

最後に

いかがでしたでしょうか。

以上が、「【周南市大津島】回天記念館の遺書を見てきた」の紹介記事になります。


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